「生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード(仮称)(案)」をどう読むべきか
第1章 コーポレートガバナンス・コードとは何か
「生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード(仮称)(案)」を理解するためには、まず日本のコーポレートガバナンス・コードの思想を押さえる必要がある。
コーポレートガバナンス・コードは、東京証券取引所を中心に策定された、上場企業に対する行動指針である。その目的は、企業の持続的な成長および中長期的な企業価値の向上を実現することにあり、経営の透明性、説明責任、意思決定の健全性を高めるための基盤として位置づけられている。
重要なのは、このコードが法的拘束力を持つ規制ではない点である。企業に一律の行動を強制するのではなく、どのような考え方で経営を行っているのかを社会や投資家に説明できる状態を整えることが重視されている。言い換えれば、企業の競争力を高めるための「共通の物差し」として機能してきた。
また、コーポレートガバナンス・コードは、投資家との円滑なコミュニケーションを目的とする制度でもある。投資家は、企業のガバナンスの考え方やリスクへの向き合い方を理解することで、より合理的な投資判断を行うことが可能となる。
第2章 プリンシプルベースアプローチとコンプライ・オア・エクスプレイン
コーポレートガバナンス・コードを特徴づける考え方として、プリンシプルベースアプローチとコンプライ・オア・エクスプレインがある。

参照先:東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コードの 全原則適用に係る対応について」(2021年7月21日更新)6頁
プリンシプルベースアプローチとは、詳細な手続や具体的な対応を細かく定めるのではなく、守るべき原則を示し、その具体的な実装は各企業の判断に委ねる考え方である。市場環境や技術の変化が激しい分野において、ルールベースの規制は柔軟性を欠きやすく、かえって企業活動を阻害するおそれがある。このため、日本のガバナンス制度では、原則を基軸とした設計が採用されてきた。
これと不可分の関係にあるのが、コンプライ・オア・エクスプレインである。企業は原則に沿った対応を行うことが期待されるが、合理的な理由により対応しない場合には、その理由を説明することで足りるとされている。
ここで求められているのは、形式的な遵守ではない。なぜその判断を行ったのか、どのような代替的措置を講じているのかを説明できる状態こそが重視されている。この仕組みにより、企業は柔軟性を保ちつつ、社会や市場に対する説明責任を果たすことが可能となる。
第3章 本プリンシプル・コードの位置づけ
「生成AIの適切な利活用等に向けた知的財産の保護及び透明性に関するプリンシプル・コード(仮称)(案)」は、こうしたコーポレートガバナンス・コードの思想を、生成AIという新たな技術領域に適用しようとする試みである。
生成AIは、イノベーションを加速させる一方で、知的財産、説明責任、社会的影響といった複雑な論点を内包している。技術の進化が極めて速いこの分野において、詳細な規制を先行させることは現実的ではなく、むしろ技術発展や競争力を損なう可能性がある。
そのため、本プリンシプル・コード(仮称)(案)は、生成AIの利活用に関する基本的な原則を示し、事業者による自律的な判断と説明を促す構造を採用している。この点からも、本コードは規制文書ではなく、行動指針として理解すべき文書である。
第4章 本プリンシプル・コード(仮称)(案)の全体構成
本プリンシプル・コード(仮称)(案)は、大きく「総論」と「この文書が示す原則及び例外」の二層構造で整理されている。
総論では、文書全体の目的、適用対象、採用する手法、受入れ状況の可視化といった、制度設計の前提が示されている。一方で、第2章以降では、生成AIの利活用に関する原則と、その例外的な考え方が整理されている。
この構成は、まず全体の思想と前提条件を共有した上で、具体的な原則を提示するという、プリンシプルベースアプローチの典型的な設計といえる。
第5章 総論のサマリー
総論では、以下の4点が整理されている。
- 第一に、本プリンシプル・コードの目的として、生成AIの適切な利活用を促進しつつ、知的財産の保護および透明性を確保することが掲げられている。
- 第二に、文書の適用対象について、日本国内の事業者のみならず、日本国内に向けて生成AIシステムや生成AIサービスを提供する海外事業者も含まれ得ることが示されている。
- 第三に、採用する手法として、プリンシプルベースアプローチおよびコンプライ・オア・エクスプレインの考え方が明示されている。
- 第四に、受入れ状況の可視化を通じて、事業者の取組を社会的に共有する仕組みが示されている。
第6章 この文書が示す原則(透明性と知的財産への配慮)
本章では、本ガイドラインが示す「原則」のうち、生成AI事業者に対して求められている基本的な考え方について解説する。
本原則は、生成AIの開発・提供が社会に与える影響を踏まえ、利用者および権利者を含む関係者が、一定の情報を確認できる状態を確保することを目的として整理されている。
6-1 原則の全体構造
本ガイドラインが示す原則は、次の三つの層から構成されている。
- 生成AI事業者が、自ら情報を公表することを求める原則
- 権利者が法的手続を行う場合における情報開示に関する原則
- 生成AIの利用者からの請求に対応する際の原則
本章では、このうち、すべての前提となる「事業者による情報公開」に関する原則を中心に解説する。
6-2 原則1:事業者による概要情報の公開
6-2-1 原則1の考え方
生成AI事業者は、自社のコーポレートサイト等、誰でも閲覧可能な場所において、一定の事項について概要情報を公開することが求められている。
この原則の趣旨は、生成AIの内部構造や学習データのすべてを公開させることではない。
あくまで、利用者や権利者が、事業者の姿勢や基本的な取り組みを把握できる状態を社会に対して示すことにある。
6-2-2 透明性確保のために整理・公開すべき事項
透明性の観点から、事業者は主に次の三つの領域について、概要を整理し、公表することが想定されている。
(1)使用しているAIモデルに関する情報
これは、生成AIサービスの基盤となっている技術についての説明である。
具体的には、以下のような事項が例示されている。
- 使用しているモデルの名称やバージョン
- 公開日や主な更新履歴
- モデルの構成や設計に関する基本的な考え方
- 利用規約、想定される用途および禁止事項
- 学習や推論の方法に関する概要
わかりやすく表現すると、
この生成AIが「どのような前提で作られ、どのような条件で使われることを想定しているのか」を、公式に説明することが求められている。
(2)学習データに関する情報
次に重要となるのが、生成AIがどのようなデータを用いて学習しているかという点である。
ここで求められているのは、次のような大枠での説明である。
- 学習および検証に使用したデータの種類
- データの入手方法(ウェブクローリングの有無等)
- クローラの利用目的や期間、第三者クローラの使用有無
個別のURLや具体的なデータ内容をすべて列挙することまでは求められていない。
重要なのは、どのような種類のデータを、どのような方針のもとで収集・利用しているのかを説明できる状態を整えることである。
(3)アカウンタビリティに関する情報
アカウンタビリティとは、開発や運用の過程において、後から判断や対応の経緯を説明できる状態を確保することを指す。
具体的には、次のような対応が想定されている。
- 開発および運用における意思決定の記録
- 責任者や担当部署の明確化
- 判断の経緯を必要に応じて遡れる体制の整備
- 文書化や記録保存の実施
平易に言い換えると、
問題が生じた場合に、「どのような判断が、どの立場で行われたのか」を説明できるようにしておく、という考え方である。
AIの透明性・アカウンタビリティについては、以下の記事をご参照ください。
6-2-3 知的財産権保護に関する考え方と公開事項
原則1では、透明性と並び、知的財産権への配慮についても重視されている。
事業者は、知的財産権保護に関する基本方針を策定し、責任体制を明確化した上で、少なくとも年1回は見直しを行い、その要旨を公表することが望ましいとされている。
あわせて、次のような対応例が示されている。
- 他者の知的財産権を侵害しないための運用
- robots.txt やペイウォール等、アクセス制限の意思表示の尊重
- 学習ログの一定期間の保存
- 海賊版サイトへのクロール回避
- 侵害生成物を防止するための技術的措置
- 電子透かしや来歴管理技術の活用
- 利用者への注意喚起
- 権利者向け相談窓口の設置および対応記録の保存
整理すると、知的財産に関して「問題が起きにくい運用を行い、問題が起きた場合には対応できる体制を用意しておくこと」が求められている。
6-3 原則2:権利者が法的手続を行う場合の情報開示
6-3-1 原則2の位置づけ
原則2は、すべての権利者からの問い合わせに一律に対応することを求めるものではない。
訴訟、調停、ADR等の法的手続を現に行っている、または行うことを具体的に予定している権利者(またはその代理人)からの請求を前提としている。
そのため、本原則は、紛争が顕在化した段階における対応原則として位置づけられている。
6-3-2 開示が想定されている情報の範囲
一定の要件を満たす請求があった場合、生成AI事業者は、次のような事項について回答することが想定されている。
- 指定されたURL等の情報が、当該AIモデルの学習または検証データに含まれているか否か
- 提供事業者自身が当該情報を把握していない場合には、当該AIモデルを開発した事業者の名称
ここで求められているのは、事実関係に関する回答であり、学習データそのものの開示ではない。
6-3-3 原則2が示す実務上の意味
原則2は、生成AI事業者に対し、次のような実務的な備えを求めている。
- 学習・検証データに関する管理体制の整備
- 自社で回答可能な範囲と、開発事業者に委ねる範囲の整理
- 法的手続を前提とした問い合わせに対応できる体制や窓口の整備
この原則は、透明性や知的財産権保護の考え方を、実際の紛争対応に結びつける役割を担っている。
6-4 原則3:生成AI利用者からの情報開示請求への対応
6-4-1 原則3の考え方
原則3は、生成AIを利用してコンテンツを生成した利用者からの請求を対象としている。
生成された文章、画像、音楽、映像、ゲーム等について、既存の著作物との関係を確認したいという利用者側のニーズを踏まえた原則である。
6-4-2 開示が想定されている情報の内容
一定の条件を満たす場合、次のような情報について回答することが想定されている。
- 生成物と同一または類似するコンテンツが掲載されているURL等の情報が、学習または検証データに含まれているか否か
- 提供事業者が当該情報を把握していない場合には、AIモデルを開発した事業者の名称
平易に言い換えると、利用者が生成物の利用に伴うリスクを確認するための手がかりを提供する、という位置づけである。
6-4-3 原則3が意味するもの
原則3は、生成AIの利用者に過度な責任を課すものではない。
一方で、生成物の利用にあたって、利用者自身が一定の注意を払う必要があることを前提としている。
その上で、事業者には、利用後の確認や判断を支えるための最低限の情報提供体制を整備することが求められている。
6-5 第6章の総括
第6章で整理した三つの原則は、次の点に集約できる。
- 生成AI事業者は、透明性と知的財産権への配慮について、社会に対して説明可能な状態を整えること
- 紛争が顕在化した場合には、一定の条件のもとで事実関係に関する情報提供を行うこと
- 利用者が生成物のリスクを確認できるよう、情報提供の枠組みを用意すること
これらの原則は、生成AIを社会の中で継続的に活用していくための、実務的な前提条件を示したものと位置づけることができる。
第7章 企業はどのように対応することが望ましいか
本プリンシプル・コード(仮称)(案)に対して、企業が取るべき対応は、単に内閣府に受入れ表明を提出することにとどまらない。生成AI活用における透明性や説明責任への取組を整理し、それを戦略の一部として位置づけることで、社会や投資家からの信頼獲得につなげることが可能となる。具体的には、自社ウェブサイトや統合報告書において、生成AIの活用方針やリスク管理の考え方を明示することが考えられる。
一方で、課題も存在する。生成AI領域はグレーゾーンが多く、ルール整備が実態に追いついていない。現実には、グレーゾーンを巧みに活用して競争力を高めている企業も存在しており、特に米国企業の動向を見ればその傾向は明らかである。そのため、本プリンシプル・コードが、企業の競争力を不必要に損なうものとなってはならない。また、現時点ではインセンティブ構造が不透明であり、取組に対するリターンが見えにくい点も否めない。
今後、本コードをより実効性のあるものとするためには、インセンティブ設計や第三者評価の枠組みなどが検討されることが望ましい。
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